ないものねだり、で片付けられない事


たとえば、の話。
知人の言葉「結局、悩みってないものねだりなんだよね」が心に響く。


二重の人はケバイ顔に悩み、一重の涼やかさにあこがれる。
ストレートの人は天パに憧れ、天パの人は必死でストパをかける。
堅実な道を選んで来た者は、すれた空気を纏いたがる。
身一つで生きて来た者は、レッテルや形に異様に反応する。


エトセトラエトセトラ・・・。


だけど、はたしてそうなのかな?
わたしはそう片付けることに、ちょっと違和感がある。


わたしに関して言えば、の話。
鏡に映る自分を叩き、この姿で外に出ることが耐えられないと叫んでいた日々。


他人から見たら、取るに足らないこと。
満足を知る謙虚さを、と諭されたりもする。


自分の外に向かうもの、それは悩み。
自分の内に向かうもの、それは痛み。


悩みは解決できても、
痛みは癒えない。


そういうもの。