“ふたりぼっち”って、

二人きりってだけじゃなく
独りぼっちが二人いることでもなく


一緒にいるのにさみしさを感じるとか
一緒にいるから悲しさが生まれるとか
そういう切なさがあるのね。


何年も前にヒスブルが『ふたりぼっち』ってCDを出した時、
表現者を目指してる子達が口々に主張してるのを聞いたのを思い出すよ。
「いつか“ふたりぼっち”を使うつもりだったのに先を越された〜!くやしい」


何かを発信するにはまずその前に、自分を見つめる段階があるよね。
その孤独な作業が“ふたりぼっち”の切なさに繋がるのかもしれないね。