行き場の無い思い


渋谷のスクランブル交差点。
その真向かいのスターバックスの3階から
次々に開く傘の花を目で追う。
ガラス窓の向こうとこっち
同じ時間が流れてると思えないくらい温度差がありそう。


色とりどりの傘に負けないくらいに、
色々なファッションのみんな。
それぞれが好き勝手に動いているようで
いつのまにか流れが出来上がってる人の群れ。
色々な表情が行き交う街。


わたしは1冊の本を読んでいた。
枚方バンダムさんの【お話、聞きます。】
毎週同じ場所同じ時間に路上に座り、
ただただ無料で立ち止まった人々の話を聴き続けた人の記録。
所属事務所も誰も守ってくれない、
自分ひとりで雑踏の中に座っているんだって。
12000人のお話の中に、どうしようもない悲しみと怒りを感じた。


関西にいた頃、【何で屋】というグループに路上でよく会った。
「何で勉強しなくちゃいけないの?」
「何でカフェが流行したの?」
などの、“大人”がきちんと答えてくれないことに、
きちんと答えますよ、というグループ。
ちなみに、1問100円。
わたしはそれにすんなり納得できなかったから思ったまま
「自分で考えて答えを出すことも大切にしたいです」と言ってみた。
「あなたのようなタイプの人達が今の世の中の閉塞感を作り上げたんですよ」
跳ね返るような、突き刺さるような反応だったなあ。
なんでそんなに好戦的なのかよく分からない。
“答えを知ることは、一緒に考えて行くことの第一歩”
・・・ということなのかな、と今では思う。


ブログの隆盛も、
お笑いブームも、
モデル志望の子が後を絶たないことも、
キャラ売り込み型の人付き合いも、
なんだか色んなことが発信タイプのものばっかりだよ。


話したいこと
作りたいこと
表現したいこと
残したいこと


本当の答えを知らないまま、
みんなみんな一生懸命吐き出してる。
何もいれずに出し続けたら空っぽになってしまいそう。


それに、その受け手は誰なんだろう?
みんながみんな出す方に夢中になって。
受け手の無いまま、
どんどん吐き出したものがじゃんじゃん溜まってく。


ああ、もしかしてそれが混沌かな、って思った。
雑踏と混沌、それがわたしの中の都会のイメージ。
その二つは、人をキーワードに繋がってるみたい。


いつかその溜まり溜まった混沌パワーは何かを生み出すだろうか。
それともブラックホールに化けてすべてを飲み込んでしまうのか。


今日も一つ、わたしも呟いて
小さな混沌の種を落とす。


明日一日だけでも受信タイプの人間になることはできるかな?


雨が上がった。
傘は各々の手でくるくると巻かれ、わたしの所からはもう見えない。
見えないだけで、確かにそこにあるのだけれど。