自己責任???

イラクでの人質事件以来、「自己責任」についてどう捉えるかという話が盛り上がっています。


わたしの中でもまだ「人質事件」についての考えはまとまっていないのだけれど、それでも気になることが一つだけあるんだ。


それは、「自己責任という言葉は本当はない」と言い出す人達がいること。そんな言葉、日本語にはない!って言う時って、おそらく「辞書にも載ってないぞ」ってニュアンスなのだろうけれど・・・。


“だから自己責任って言葉を使うのは変”という方向に世論が流れていくのが、嫌だなぁと思う。“今までにないから、おかしい”じゃなくって“どういう意味を持つ言葉なのか、みんなで考え直してから改めて使おうよ”という議論になってほしいなぁと思う。


言葉は生き物だものね。古き良き言葉の趣を大切にしながらも、変わってゆくことから目を逸らしたり、生まれてくるものを叩き潰してはいけないよね。


言葉は川みたいなものかも、と今ふと思ったよ。
水の一滴一滴は二度とそこにはないけれど、川の流れは昨日も今日も明日もそこにある。そしてそんな流れも、何十年何百年何千年という時の中で姿形を変え、もしかしたらいつかは消滅するかもしれない、って。


たとえ話が何かの解決にはならないかもしれないけれど、今日話している日本語も、明日話すときには別物なんだ、同じ日本語が交わされる日はないんだ、ってちょっぴりアンニュイでちょっぴり新鮮な気分になる。


だから、考えよう。
新しい言葉に、意味を吹き込むのはわたし達なんだものね(^−^)


「自己責任で」と口にする時、それはまんま「自分の責任で」に置き換えられそうだけど・・・現にわたしは、“の”を短縮して言い易くしただけだと思ってたもの。


なのに「自己責任」を「自分の責任」と解釈しないで「意味不明」と言うってことは、「自己責任≠自分の責任」ってことなんだろうね。


“自由と責任”はワンセットとされてきた。だとすると、「自己責任」とセットになるのは、「自己自由」??自分で手に負える範囲での自由ということになるのかな?


ただ今回の場合、自分がやりたいことのためにイラクにいたら、国家の問題に巻き込まれた。
自分としては「意思」があってそこにいたのが、そこにいるっていう「存在」の方が問題になってしまっていた・・・。


わたしはそういう風に考え始めました。
みなさまは、どう感じました?