転勤族の娘から転勤族の妻へ。


おなかが目立つようになって遠出を避けているわたしですが、食材の買い出しの帰りに時々立ち寄る、近所のインテリアショップさんがあります。シャンブルといって、ホームウエア、キッチン雑貨、ソニプラ的コスメ、インテリア小物、輸入菓子などが置いてあるお店屋さんです(^-^)v


特設コーナーに、2005年のカレンダーが並び始め、「この前来た時よりもいっぱい入荷されてる〜」と、思わず手にとって物色してみたり(笑)
まだまだと思っていたら、今年はもう、あと1ヶ月ちょっとしかないことに改めてビックリ!!
おだやかに幕を開けた2004年だったけれど、4月に関西(兵庫)→九州(福岡)への引越しがあって、6月に第一子の妊娠がわかって、そして秋、ダンナさまの転職・・・。途中から怒涛の急展開を見せてくれました(-o-)


「自分の生まれ育った土地、大事な人達の住む地域、そこで一生の仕事がしたい」そう言っていたダンナさま。選んだ仕事に選び返され、彼の転職が決まりました。その職は、偶然か必然か、わたしの実父と同じお仕事。ある意味親子2代という感じ(笑)
「俺と同じ仕事は子供にはさせない。お前(わたし)がなりたいって言ったら止めるつもりだった」ともこぼしていたことがあったなぁ。仕事に貴賎もなければ、楽な仕事だってないのだけれど、自分がしてきたような苦労はさせたくないという親心だったんだろうね。


そんな父親ですが、その家で育って何がたいへんだったって、職種というより、転勤族だったってことです(苦笑)


小さい子にとって、やっと築いた自分の世界を一気に失うわけですから、それはもう一大事です!しかも1〜2年毎に、それはやってくる(T-T)
ほとんどの人にとって、転校生って奇異な存在だったんだろうなぁ。いきなりやって来ていきなり去っていく。輪の中心でもあり、邪魔者でもあったはず。実際、転校生ってチヤホヤされるかいじめられるかのどっちかだった気がします。


引越を繰り返すたびに、否応でも肌で感じるものです。「わたし自身は変わらないのに、行く先々で、評価(価値)は変わるんだ」って。10歳にも満たないような子どもでも。


たぶんその頃から、わたしの「来るもの深く考えず、去るもの深追いせず」な性格が固まって行ったんじゃないかな、なんて26歳の今、振り返ってみたりするわけです。“与えられた評価(価値)に振り回されすぎてたら、自分がダメになってしまう”っていう危機感は、今でもわたしの中に根付いて離れてくれそうにありません。


それの良い悪いはまだ決められないけれど、そういう癖がついたのは転勤族の娘だったからってところは無視できないことなのかもしれないな、って思うのね。


今回、彼の転職が決まって、ひとしきり喜び合った後に思ったのが、そのことだったのです。「あー。わたし、転勤族の娘から転勤族の妻になるのかぁ。しかも同じ仕事・・・」と(^-^)
両親が「仕事で同じ苦労はさせたくない」って思ってたのときっと同じように、だけどちょっと違う方向から、わたしも「転勤で同じ苦労はさせたくない」って思っていたりします。


「守ってあげる」って言ってしまいそうだけど、そう簡単にはいかないよね。頑張れベイビー。おっと、今おなか蹴り上げられた(笑)感性で生きる子になってね。(別に芸術家という意味は全くない・・・)←母(わたし)は、その人の選択(生き方)って感性によるものだと思ってるからだよ。


ちなみに。「転勤族の妻」の大先輩、MY母とも、たーっぷり語り合ってしまう今日この頃でした(笑)