代表者たるもの

JR福知山線脱線事故の中継をTVで見ていて思ったこと。


被害者の家族友人の待つ尼崎市総合体育館に向かう、JR西日本の社長が車から降りた時の、マスコミの対応がすごく気になったよ。


「隠してないでちゃんと情報を出せ!」
「人が死んでんねんで!」
「ちゃんと謝罪する気はあるんですか。さっきポケットに手を突っ込んでましたよね?」


口々に叫びながら、どどっと押し寄せて、これでは前に進むのも大変だな、という気がした。言っていることは、もちろんその通りなのだけれど、わたしは、「謝るとしたら、マスコミに対して(会見)より先に、被害者の遺族に直接頭を下げるのが筋だから、道を開けてやったらどうなんだろう」「情報が錯綜する最中に、未確認の情報を焦って出しても意味ないような・・・。後から訂正、となったら、いの一番に叩くくせにね(-.-)」と思っていたのです。


“マスメディアとして”という大義はあるのだと思う。
だけど、自分が誰を代表しているのか、という感覚はどのくらいあるのかなぁ。自分の意見に責任を感じているのかなぁ。
何万何千万の人が注目しているTVで、誰かの一言が全体の流れになるのって、よく考えたら怖いなぁ。
報道の勢いに乗って、それが正しいことのように思えてくるのって、よく考えなくても怖いなぁ。
多くの人を操る力は大きいのに、責任を持つ人の姿が見えないのって、それがいちばん怖いなぁ。