ムコスケ


父の晩酌に付き合い、ダンナさまもほろ酔いになった夜更け。わたしは父親とケンカをした。酔ってない時もよく半分冗談半分本気で「3人の子供の中でまちかがいちばん突っかかってきたよ」とこぼす父なのですが。


ごはんのあと、リビングでのんびりしていたわたしに、酔っ払った父が急に言ってきた。
父:「まちかは、自分の旦那さんのことくらい“さん付け”で呼ぶようにせんと(しなさい、の意)」
私:「ええ!?お互い呼ぶのに変える必要あるー!?」
父:「呼び捨ては印象が悪か」
私:「ちゃんとした場所や向こうのお家では○○さん、って呼んでるよ。それでいいんじゃない?」
父:「なんの(何を言うか、の意)、そぎゃんもんじゃなか(そういうことじゃない)」
私:「お父さんが心配してるのは分かるけど、使い分けてるから、納得してほしいんだけど」
父:「旦那さんを思う気持ち・・・うんぬん(このへんろれつ回ってない)」
私:「大事なことって言うんなら、酔ってない時に普通に言えばいいんじゃない?話が通じないよ。イライラさせないで。」


わたしのこんな姿、オンラインでは初めて書くから驚かれたかもしれないね。「火の国の女は気が強い」ってよく言われるけど、わたしもまさに火の国生まれの火の国育ち。それに甘えも入って、家族にはつい強い口調になりがちなんです。反省はするんだけれど、なかなか治らないのも事実。


そして、結婚した今も、まだ両親(父親)のことは、真っ直ぐに見れていない気がしています。何でだろう。毎日たいへんで続けるだけでも重圧だったであろう仕事をして、わたし達家族にも辛抱させる代わり思いっきりの自由をくれた、お父さんお母さん。長女のわたしのダンナさまを、時に「うちの婿助(むこすけ)が、〜」なんて呼んで、いろんなところで話しちゃうくらい、わたしと一緒に彼を好きでいてくれる、父親。


実はまだ、素直に「尊敬してる」っては、どうしても言えないまま。いつかはそう、思えるものなのかな?思えないわたしは、どこかまだ意地を張っているのかな?


学生の頃は親サイドからなんて、考えてみたこともなくて、働き出して一人暮らしを初めてからやっと「毎日を続けていくこと、暮らしを守ることが、どれだけ大変なのか」に気付いて、少しだけ見方が変わったの。
結婚してからは、「帰る場所があること、自分達はいろんな人に支えられてるんだ」ってことを思い知ったの。


もしかしたら、この先子どもが出来て育てる頃に、「親」サイドを体験して初めて見えてくることもあるのかもしれないな、って今は思います。だからまだ、無理に「親は尊敬しなくちゃいけないのに」って思おうとして迷わなくてもいいのかな?

初めて里帰りした時「お仕事をして、ごはんを食べるって、すごいことなんだね」と言ったように、ハネムーンから帰ってきて「家を出てもわたしのお部屋を大事に残してくれてありがとうね!帰ってくるとここに家があるって思うと頑張れる気がするよ」って話せたように、自然に言葉が出てくる日まで、待つことにします(*^−^*)


あ。わたしの今の“尊敬できる人”は、“両親を尊敬してるって言える人”って言えるかもしれません(^−^)


“尊敬する人は?”の問いの答えは“両親”の方は♪ ランキングENTER(^0^)