ケンカよりも大嫌い


ケンカをすること以上に、仲裁されることが嫌いです。


大事な人とのケンカは、どうしてこんなことに、と責める矛先は自分に向いているのだけれど。第三者にたしなめられると、文字通り第三者に何言われてもなあ、なんて苛立ちが募るばかり。もちろん、心のこもった助言は別だけど。


ケンカとか、頭に血が上ってる時って、だいたい自分でも「これって八つ当たりだけど止まらないー」って自覚してるわけで。一応ね。それで怒りがおさまったりはしないとこが至らない部分なのだけれど。
それなのに「時間を置いたら」とか「冷静になって」とか、無理だっつーの。できないからケンカになってんのよ。ブナンなことしか言えないのだったら、口出しするなって、そりゃあもう、ケンカ相手をさらに増やしそうな勢いです(笑)


気が短いのー。でもって超頑固。我が張ってて始末におえないんです(爆)


そんなだから、せめて、と。
他人のケンカや悩みには簡単には口出ししないことにしてるんだ。自分がされて嫌だから。(もちろん“相談事”は別ね!)
そして、愚痴ったり近況報告だけってのは、あまりしたくない。されたところでそれこそ無難なことくらいしか返しにくい気がするし。ほんとにお互い必要とし合ってる子なら、そもそも知っててほしいことは伝えてあるし、気がかりなことは聞いてくるだろうし、愚痴やら報告やらは「今更・・・」感があるのね。


それもこれも、わたしは、の場合です。
責め合い、傷付け合うだけのケンカなら、仲裁は必要かなと思うけれど。
求め合っても噛み合いにくい溝を埋めるためのケンカなら、当人同士以外はお邪魔かな、って思うのでした。マル。